鳥を撮る - (4) 山本 晃


 珍しい鳥、滅多に出会えない鳥を見つけるのは鳥を見始めて○○年の私でも、相変わらずときめくモノを感じますし、知らずしらずにそういう目でフィールドに出てしまいます。ごく当たり前にたくさん居る、いわゆる普通種など殆ど眼中に無いといった、体たらくを反省することもしばしばです。図鑑の観た鳥に印を付け、数をかぞえてニンマリするなんてことは大抵の人はやっておられるか、一時はやっておられたと思います。鳥を観ることを趣味にするということはライフリスト(観た鳥のリスト)を増やすことと殆ど等価のことなのです。しかし、中には少々変わった人もいて「迷って来るようないかれた鳥なんか観て何が面白い」と全く関心を示さない御仁もおられます。そんな泰然とした態度でいられると、なんだか少しうらやましい気にさせられてしまいます。そういう人は○×が出た、などと聞いても、「それがどうかしたの?」と受け流してしまうでしょう。しかし多くの人は距離・時間・金の許す範囲で走って行ってしまうのです。 珍しい鳥に巡り会ってしまうと、写真に撮りたくなるのは、これはもうどうしようもない性(さが)でしょうね。いや、病気。病気と言った方が的を得ているかもしれません。そして、珍しい鳥の写真が撮れるとなかなか黙っていられないという習性が昨今のIT革命に乗ってあっという間に病気を蔓延させてしまうのです。

 ここ数年、珍鳥飛来の情報の速いこと! そして集まるカメラマンの多いこと!すごいですね。△▽万円のレンズがずらりと並びます。まるでオリンピックの人気種目のカメラマン席のようです。パパラッチも裸足で逃げ出しそうです。たった一羽の鳥の行動が何十人もの人間を駆り立てるのですから、自動車の燃料代、食事代、フィルム代、etc…その経済効果はなかなかのものがありそうです。大勢の観衆が集まっても埋立地や大きな河川の河原、或いは公園のような場所なら殆ど問題にならないでしょう。ところが鳥は人の都合などを配慮して迷行して来てくれるはずはありません。場所によってはズラリと駐車している自動車が交通の妨げになったり、移動の激しい鳥を追いかけて傍若無人に走り廻ったり……。鳥を撮る事に夢中になってしまうと気配りなんて全く顧みなくなってしまうのです。関係のない通りすがりの人や農作業に忙しい人の迷惑を殆ど配慮しない群集心理がむきだしになります。

「遠路はるばる高速道路を飛ばして来たんだ、なんで撮らずに帰らりょか」。御無理御尤も。しかし、地元の鳥見連(こんな言葉あるか?)は、たまったものではありません。フィールドにしている地域の方々から白い目を向けられるようになってしまうのです。日頃から遠慮勝ちに鳥を観て廻っている気の弱い私など、暫くほとぼりが冷めるまで脚が遠のいてしまうほどです。ほんとうです!珍しい鳥を撮りたくて我を忘れて暴走してしまう気持ち分かります。私もそうですから。反省だけならサルでも出来る、ですか?



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