フクロウの不苦労話 - 杉山 時雄



 野鳥を見始めて数十年のベテランといわれる人でも、実際にフクロウを見た人は少ないでしょう。 フクロウは一般的に夜行性と言われ、昼間は木陰に隠れてじっとしており、近づけばこちらが気づく前に羽音を立てず、ス−ッと森の中へ消えてしまう。そんなフクロウを一目見てみたい、写真を撮ってみたい、 という思いがフクロウにのめり込んだきっかけでした。 色々な本を読みフクロウのことを調べ、多くの人にフクロウのことを聞きました。樹洞で卵を産みヒナを育てること、小動物のネズミ・カエルから昆虫類、鳥までも食べること、昼間でも目が見え、飛べることなど。



 しかし、いくらフクロウのことが分かったとしても、それだけでは野外で見つけることはできませんでした。 そんなフクロウに初めて出会ったのは1982年5月、静岡県金谷町のとある神社でした。 フクロウを一目見てみたいという思いが募り、金谷町在住の鳥友にお願いして見せていただいたのです。 数ヶ所の神社を案内していただき、鳴き声、姿、飛翔、雄から雌への餌渡し、そしてヒナまでしっかり見せてもらいました。毛綿の塊に黒い瞳、虜になるには充分です。その後、とり憑かれたように地元の神社でフクロウを探し回りました。


 大木のある神社を300ヶ所以上探し回りましたが、樹洞のある大木はわずか10数ヶ所。 しかもその大木の多くは樹齢のため朽ち始めており、鎮守の森の木々は切られ、ゲートボール場や駐車場へと、 その姿を変えていたのです。そんな現状を目の当たりにし、このままではフクロウは絶滅してしまうのではないかと心底思いました。 しかし、フクロウはその急速に変わりつつある里山の環境でひっそりと暮らし、子孫を残していたのでした。彼らの一部は地上営巣という、本来の生態とはかけ離れた方法で生き延びていたのです。 地上営巣をする鳥の多くは卵が円錐形で、転がってもまた元の位置へ戻るようになっており、土色の斑点の保護色をしています。それに対し、フクロウの卵は白いピンポン玉のよう。これは樹洞という穴の中で抱卵するには適していますが、地上営巣では無事にヒナが育つ可能性は期待できません。


 当時、図鑑などに「フクロウは巣箱を良く利用する」と書かれていたので神社を中心に架けることを思いつき、 1991年から架け始めました。しかし思うように巣箱には入ってくれず、試行錯誤の繰り返し。 初めて巣箱を利用してくれたのは1994年のことでした。それからは夢中で巣箱を架け続け、 気がつけばその数は70ヶ所にもなっていました。2004年までで合計38ヶ所の巣箱が利用され、毎年約10ヶ所で10数羽のヒナが巣立っています。巣立ったヒナの数はこれまでに138羽にもなりました。


 フクロウは大木のある森(神社など)だけでなく、廻りに餌場(田畑や草地)さえあれば、二次林のように貧弱な雑木林でも繁殖します。また、年によって繁殖数や卵数、巣立ちヒナ数などに波があり、安定していません。
 西三河にはまだまだ生息可能な環境が残っていますが、巣箱を提供するだけで正常に種を維持していくわけではありません。これからは、より自然洞に近い快適な巣箱への改良と、巣箱で巣立ったヒナの多くが安心して暮らせる環境の保全が課題であると思っています。